は・・・はえええェ!!


by kevin-bkr

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人の心・・・

盆前に1本の電話が・・・・。

「***ちゃん?うちのおかんがもうやばいんよ!昨日、緊急入院してな・・・。もう医者からは、あかんて言われとんねん。1っぺん顔見に行ったってくれるか?]

と・・・自分の祖母の妹さんとこの息子さんから電話がありました。

<ここで言う***ちゃんは自分の名前です(注)>

なので、翌日慌てて・・・祖父・父親・自分とで入院先の病院に行きました。

病室に居たのは祖母の妹さんとその旦那さんでした。

<祖母の妹さんをA その旦那さんをBと呼ぶ事にします。>

部屋に行きBさんにお見舞いの品と見舞い金を渡すと、Bさんは見舞金の入った袋を次々とそのまま鷲掴みのままズボンのポケットへ・・・。

さすがにこれには驚きました^^;

病室で長居すると周りにもAさんにも負担が掛かるだろうと思い、早々に退室しましたが、
その時点では、Aさんはまだ元気そうでした。

院外の喫茶店で色々と話をしましたが、Bさんの話からは・・・担当医から、どこが悪いかの説明を受けてるのに理解していない。そんな感じでした。

Bさんが言うには、昨日が一番ヤバイ状態だったらしく、今日は一転して落ち着いてるとの事だったんで一同、胸を撫で下ろしました。

この日はこれで病院を後にしました。


そして、盆直前に、また自分の携帯に電話が・・・。

「***ちゃん?うちのおかん、いよいよあかんみたいやわ。そう医者に言われて、今、ICU(集中治療室)に入ってるねん。」・・・と。

あれほど、まだ、元気そうにしていたおばちゃんが!!

わかりました。明日にでも伺います。と言い電話を切りました。

本当にいよいよなのか・・・と辛い気持ちを抑え、翌日、祖父・父親・嫁・自分の4人で病院に向かう事に・・・。

当然Bさん、Bさんの息子2人にその奥さんたちは居るだろうと思っていたのですが・・・病室に居たのはAさんのみ。

・・・目を疑いました。
なぜ、家族が来ていないの?
なぜ、人工呼吸器がつながれているAさんだけにしているの?
・・・頭が真っ白になりました。

自分は、病院の批判をするつもりはありませんが、集中治療室(4人部屋)とはいえ入り口のドアは開けっ放し。
Aさんのベッドの横には針のついた注射器が2本おいたまま。
次の点滴は12時30分交換と書いてあるが、自分たちが行った11時過ぎには無くなっていた。
これって・・・空気が入るやん?
さすがにナースを呼びに行きました・・・。


しばらくして院内放送が流れてきました。
食事の準備が出来ました。
歩ける方は取りに来てください。

これってICUの部屋にも必要な放送なんでしょうか?
その後、隣り(と言ってもカーテン1枚の区切り)から食事を食べる匂い、音が聞こえてくる・・・。
Aさんだってしっかり目は動くし手だって動かせる。
首も振れるし・・・ただ、口には太いパイプが入っている・・・。

確かに栄養は全て、高カロリーな点滴で体内に入れる訳だが、声の出せないAさんが、もし食事したいと思っていたら・・・?

本当に本当に・・・。
色々考えてしまいました。


自分も祖母の時、ターミナルケアしました。
祖母が体調を崩し病院に掛かると、余命3ヶ月の末期がんでした。
緊急入院し2ヶ月あまりは入院していました。
ただ、末期患者をいつまでも置く事も出来ないと言う事でホスピスや他病院に転院も勧められましたが、祖父たっての希望で、自宅にて看病する事に決めました。

退院した病院と、かかりつけだった町医者とで連携を図り、訪問看護と介護ヘルパーさんにも力を貸して頂き最後は自宅で看取りました。
町医者の先生にも恵まれ、夜中の何時でも往診に駆けつけてくれましたし、何かおかしいなと思ったら24時間いつでも電話下さいと仰って下さいました。
本当にかなり救われました。

要介護認定を受けたものの、当然ヘルパーさんだけでは手足らずなので、食事介助・排泄介助も家族全員で分担し、自分は仕事の終わる8時から朝の2時までを担当するのが多かった。

当然下の世話もしたし、この時期にタバコもやめた(願掛けも兼ねて)浮腫が出てる手を摩りながら寝返りをうたせたり、血圧・脈拍・人差し指に挟んで血中の酸素量をはかったりした。

祖母が入院したのが5月末。
自宅療養に切り替える為、退院したのが7月末。
そして他界したのが9月9日。

6月頃からは痴呆が急速に進んでいった。
自分は仕事帰りに病院に毎日寄っていた。
その日はオレンジ色のツナギを着ていたんだが、痴呆が進んでるせいかお坊さんに間違えられた。
火の衣を来たお寺さんがきとってねん!!とよく言われました^^;

お坊さんも着ている袈裟の色で位がわかりますからね。
かなり偉いお坊さんが来たと思ったんでしょうね。


まあ、かなり話は脱線したので元に戻していきます。

そのAさんは元来から細く体重も30キロ台のおばちゃんでした。
昔から細いなぁとは思っていましたが、今は見るからに20キロ台位しかない様な位、さらに痩せこけて骨と皮だけと言う言葉がピタリと合う位になっていました。

父親も、祖父も目を真っ赤に潤ませながら、おばちゃんの手を摩ったり、ゆっくり低い声で話しかけたりしていました。
しばらく、病室に居ましたが、誰も来ないので病室を出てAさんの息子にやるせない気持ちの中、電話を掛けました。

何コール目に出たのかまでは覚えていませんが、以下会話文です。

息子「おう!***ちゃんか?」

はい。今、皆で病院に来ているんですが・・・誰も居なかったので、一応電話させて頂きました。

息子「あ、そっかそっか。おとんはおらんかったん?」

はい。誰も・・・。

息子「え?おっちゃんらも来てくれてはるん?」

はい。

息子「そうか、おっちゃんらにも、わざわざ来てくれて申し訳ないなぁ・・まぁ宜しゅうゆうといてな、***ちゃん。」

はい。

息子<半笑の口調で>「で・・・まだ生きとったか?」「死んどった?」

はぁッ???

息子「息しとった?」

・・・・はぁ

息子「でもゼエゼエゆうとったやろ?」

いや、まだ、しっかりと呼吸はされて目も手も首も動かして、こっちの言う事もわかってたみたいですよ。

息子「ほんま最悪やわ・ほんま最悪やわ」の繰り返しでした。

自分は頭の中が真っ白になりました。

本当に混濁しました。

電話を切って何分が経ったのでしょう。

しばらくボーっとしていましたが、時間が経つにつれ、怒りが込み上げてきました。

こういう時に傍に居てあげれずしかも、終始冗談ぽく話す態度に・・・

今でも覚えています。自分が言った言葉。

「オマエ、人間か……?」と。

人それぞれ、色んな理由があるのは充分、わかっているつもりです。

この日に誰も居ないのも、恐らく、皆忙しかったからでしょう。

でもね、この日は、日曜日でした。

自分の知りえる情報の中では息子(長男・次男)は休みのはずです。

そして電話でわかった事。

前回、見舞いに来た事はBさんから、息子には伝えられていなかった事。

親子の連携も取れていなく、恐らく病院に様子も見に来ていない。


息子さんとの電話を終え、再び病室に戻りおばちゃんに帰りの挨拶を告げて病室を後にしました。
院内ではこの事は話せなかったので外に出てから家族に話をしました。

皆、その言葉にショックを受けていました。

そして帰宅中に電話が・・・。

今度はBさんの息子(次男)からでした。

息子(次男)「***ちゃん、今日はご苦労さんでした。おっちゃんらも来てくれたそうで・・・。ほんま遠い所すんませんってゆうといてな」

いえいえ…でも本当に大変ですね。本人も辛いでしょうが、周りも大変ですもんね。

息子(次男)「ほんまやね、それはそうと・・・お寺さんの金額って幾ら位かなぁ?}

えッ??

息子(次男)「***ちゃんとこのおばあさんの時幾ら位やった??どういう風に連絡したらいいんかなぁ??」

耳を疑いました。

誰も居ない病室。
息子2人の言葉。

本当におばちゃんが可哀相で可哀想でなりませんでした。


自分が盆の間、何をしても楽しめ無かったのはこういう出来事があったからです。

今までずっとモヤモヤしっ放しでした。

この文章だって一気に書けた訳じゃありません。

何回にも分けて書きました。

ただ、これを書くにあたって結構な力を必要とする分、書かなきゃ!!って思いながらも遠ざけてました。
でも、今日何とか完成させなきゃ!!って思い今書いてます。
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by kevin-bkr | 2007-09-02 19:02